セミョーノフ政権下のЧИТА(チタ)市内郵便

シベリア内戦1919年・郵趣記録

ЧИТА(チタ)で投函された市内郵便

192095日にЧИТА(チタ)で投函されたチタにあるボストーチヌイ・クリエ新聞の編集局 宛ЧИТА редакцию газеты «Восточный курьер» в Чите.の市内郵便です。

年末ジャンボ「宝くじ」を購入した直後でしたので強気で入札、何とか落札できたマテリアルです。

2023年のクリスマスイブに落札できたもので、2023年度、最後のオークション参加となりました。

(期待していた「年末ジャンボ宝くじ」は残念ながら当選はしませんでした。)

使用された切手(郵便料金)

セミョーノフ政権下で帝政ロシアの20коп普通切手に額面 р2. 50к2рубль50коп)を加刷した切手と帝政ロシアの5коп普通切手に р.5. р 5рубль)を加刷した切手3枚(17рубль50коп)が使用されています。

セミョーノフ政権下での郵便料金は「封書25рубль・葉書10рубль」と認識していた為に、以前に出品者に確認した説明によれば、コルチャーク政権下での市内宛の封書郵便料金は17рубль50копとの事であり、同様の切手の使用例も2点が確認でき納得して購入しました。

現在、幸か不幸か?セミョーノフ政権下で発行された切手を使用したカバー3点が収集できましたが、3点共に使用されている郵便料金が相違しています。

最初の収集品は、1920730日にЧИТА(チタ)で投函されたХАРБИНЪ(ハルビン)宛の郵便です。

帝政ロシアの普通切手にセミョーノフ政権下で額面「10рубльが加刷」された切手2枚(ペアー)と「5рубльが加刷」された切手1枚の額面25рубльが使用されており、セミョーノフ政権下での適正な郵便料金が適用されたカバーと思われます。

(ディック・シェイパー・コレクションより入手したマテリアルです。)

次の収集品は、1921421日にЧИТА(チタ)で投函、813ЕТРОПАВЛОВСКЪ КАМЧАТ(ペトロパブロフスクカムチャッカ)で中継印を押されてCzechoslovakia(チェコスロバキア)に届いた郵便ですが、2点(郵便料金・郵便ルート)の疑問点があります。

セミョーノフ政権下での郵便料金は「封書25рубль葉書10рубль」ですが、この封書には5рубль加刷切手2枚[10рубль]が使用されています。

セミョーノフの政権【ザバイカル臨時政権】は19201021日に極東共和国[赤軍]に敗北しており、セミョーノフ政権崩壊後の郵便物となります。

拠って、「極東共和国の郵便料金」が適用されているのでは?と自分なりに納得はしていますが詳細は不明です。

郵便物には料金不足を現すスタンプ等は無く、表示もありません。

郵便ルートの疑問

1921年4月21日ЧИТА(チタ)で投函された郵便が1921年8月13日ЕТРОПАВЛОВСКЪ КАМЧАТЪ(ペトロパブロフスクカムチャッカ)で中継印を押されてSaaz Czechoslovakia(チェコスロバキア)に届く郵便ルートが不明です。

郵便料金・郵便ルートに付いて、ご存じの方、ご教示お願い致します。

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