コルチャーク政権下の2通の郵便

コルチャーク政権下の使用例

コルチャーク政権下の2通の郵便

1919523日【20коп×310коп 70коп  ВЛАДИВОСТОКЪ YOKOHAMA

1919年5月23日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函、現地で検閲(開封?)を受けて5月27日にYOKOHAMA(JAPAN)に届いた郵便です。 

1919年626日【35коп×2 70коп ВЛАДИВОСТОКЪ → YOKOHAMA 

既に投稿済(1月1日)のコルチャーク政権下で発行されました35коп切手2枚(70коп)を貼り、1919626日にウラジオストックから発送されたYOKOHAMA(JAPAN)宛のカバーを投稿しましたが、今回は、約1ヵ月前(1919523日)に同様の差出人(差出局)が同様の宛先に差出されたカバーを入手しましたので紹介します。

使用された切手(郵便料金)    

使用された切手は帝政ロシア時代の20коп普通切手が3枚と10коп切手1枚の70коп分の切手が使用されており、適正な郵便料金となっております。

投稿済のカバーは、帝政ロシア時代の普通切手にコルチャーク政権下で額面35копを加刷された切手2枚(70коп)が使用されたカバーです。

コルチャーク政権下の郵便料金は、国内宛の郵便料金35коп・国外宛が70копであり、何れも適正な使用例です。

郵便検閲

双方の郵便物共にウラジオストックで検閲が実施されたものと思われます。

今回紹介しましたカバーは第一次世界大戦時に多く見られる郵便検閲Opened By Censor(検閲により開封)が実施されています。

今迄に私が収集できましたコルチャーク政権下で加刷・発行された切手を使用したカバーにはOpened By Censor(検閲により開封されました)検閲郵便はありません。

ウラジオストックでの郵便検閲と使用された切手に関する情報をお寄せ下さい。

このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました