コルチャーク政権発行切手【50коп】加刷
1919年にコルチャーク政権下のオムスクでロシア帝政時代の普通切手に額面【35коп~5рубль】を加刷した10種類の切手が発行されました。
但、35коп~1рубльは目打無・目打有として分類されており実質的には6種類の切手となります。
今回紹介します切手はロシア帝政時代の3коп(赤)切手(目打有・目打無)に額面『50』が加刷された切手ですが、この加刷切手は「目打有」と「目打無」共に収集できています。
コルチャーク政権下で発行された切手の使用済内で比較的良く目にする切手ですが、「加刷が反転している」とか「加刷の額面『50』が上下にスライドしている等々、「加刷ミス」の変種?が見受けられます。
画像の4枚ブロックとなっている目打無切手は、1920年12月にシベリアのソビエト政権下で使用された赤軍フィールド郵便局66番号の消印が確認できます。
【 ПОЛЕВ.フィールド】【ПОЧТ.郵便物】【КОНТОРА.オフィス】・【年号20.12.14】
コルチャーク政権は1919年末頃には事実上崩壊していますが、白軍側(コルチャーク政権)が発行した切手を使用した郵便物に対して、赤軍側(極東共和国)が消印(検閲?)をした4枚切手のブロクとなっています。
帝政ロシア(ロマノフ王朝)の金塊
東洋書店より出版された「シベリア出兵90年と金塊疑惑」からの抜粋。
ロシアは世界屈指の金の保有国であり大部分は首都ペテログラードと西部の都市部に保管されていたが、第一次世界大戦(露独戦線)ロシア側の劣戦、ロシア革命による政権の変革が勃発した事により、帝政ロシアの金塊をロシアの奥深くカザン等に移動(疎開)した。
1918年8月7日レーニン指導下のソビエト政府に敵対する白衛軍(カッペリ軍)とチェコスロバキア軍の混成部隊がカザンを占領。
6億5000万ルーブルのロシアの金塊(純金500トン相当)を掠奪。
ソビエト軍(赤軍)の攻撃を受けて東方に後退しながら略奪した金塊をオムスクに移送して1918年11月にコルチャーク政権に移管された。
金塊の一部をチェコスロバキア軍団が受取、殆がコルチャーク政権により国立銀行オムスク支店に保管された。
1919年春にコルチャーク政権の陸軍次官スーリン少将が来日して武器弾薬等の兵器・装備品を購入(注文)したとの事・・・・・・・・・・。
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