シベリアで発行された加刷切手

コルチャーク政権発行切手   

シベリア出兵軍と反革命政府軍

シベリア出兵軍の支援の基に反革命政府軍が樹立した政権により発行された切手】

1917年3月12日(露暦2月27日)首都ペトログラードで発生した2月革命でニコライ2世が退位しロマノフ王朝は崩壊しました。

3月15日 ゲオルギー・ルヴォフ公が臨時政府を組織しアレクサンドル・ケレンスキーが臨時政府首相に就任。7月21日にケレンスキー政権が誕生しました。

1917年11月7日(露歴10月25日)ロシア10月革命でレーニン指導のボリシェビキがケレンスキー政権を打倒。ボリシェビキ政権が誕生しました。

ボリシェビキ政権が誕生すると帝政復帰派や元制憲会議委員が組織した反革命軍が外国干渉軍の支援を受けて各地で反乱[ロシア内戦]を起こして独自政権の樹立を宣言すると共に独自の切手を発行しました。

1918年1月29日 社会革命党が中心となり「暫定シベリア政府(シベリア共和国)」が発足しました。

「旧ロシア帝国領のウラルから東清鉄道やハルビン市を含む太平洋側までの地域を領有として「社会主義連邦ソビエト共和国からの独立宣言をした。」

1918年10月11日「シベリア共和国」はオムスクに発足した反ソビエト政権「全ロシア臨時政府」に吸収され消滅しました。

ロシア革命~シベリア軍事干渉

(1917年3月12日~1922年10月25日)

日本政府は1918年8月2日にシベリア出兵を宣告しており、先発隊は8月11日にウラジオストックに上陸しています。

北上して9月4日にハバロフスクへ進駐し沿海州(プリモーリエ州)及び黒龍州(アムール州)を制圧しており、9月18日にはブラゴベェシチェンスクに進駐しています。

コルチャーク支配地域発行の切手

(1918年11月18日~1919年末頃)

コルチャークは、イギリス及びフランスの後援を得て「全ロシア臨時政府」の陸海軍相に就任しました。

オムスクでクーデターを起こしウラル以東のほぼ全域に軍事独裁政権(コルチャーク政権)を樹立しましたが、軍事的敗北により1919年末には事実上崩壊しています。

コルチャーク支配地域では帝政ロシア時代の切手に額面を加刷した10種類の切手が発行されています。

セミョーノフ支配地域発行の切手

ロシア10月革命直後~1920年10月21日

ロシア10月革命後、臨時政府のケレンスキーよりコサック及びブリヤート人の義勇軍部隊を組織する委員に任命されて北満洲を基盤に「特別満洲分遣隊」という白衛軍組織を編成しザバイカル州の革命勢力と対決していたが、日本シベリア出兵軍の支援の基にザバイカル州に反革命政権(ザバイカル臨時政府)を樹立しました。

1922年10月25日に日本軍がシベリアから撤兵すると赤軍[極東共和国人民革命軍]に敗北し崩壊しています。

セミョーノフ支配地域では、帝政ロシア時代の切手に額面を加刷した4種類の切手が発行されています。

 

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