極東共和国の成立

極東共和国

極東共和国の成立~併合       

極東共和国では1920年~1923年に独自の郵便切手が発行されています。

ロシア革命に干渉して連合国【日本.アメリカ.イギリス.フランス.イタリア.中国.カナダ等の各国】が軍隊を派遣していますが、1920年の初頭には日本以外の国の軍隊は殆ど撤退しています。

日本は政治的中立を宣言ながらもシベリアには大軍が残留しており、1920年2月18日にオムスクより敗走するコルチャーク軍を追撃して来た赤軍部隊と日本派遣軍との直接的な軍事衝突を避ける為の緩衝国として「極東共和国」の創設が決定されるとロシア極東の各地で革命勢力による政権が樹立されています。

当初はベルフネウディンスク( 現、ウラン・ウデ) 周辺が領域であったがセミョーノフの率いる反革命政権が崩壊した後、首都をチタに移してバイカル湖から太平洋岸迄の全域が領域となっています。

国民議会を最高機関とする議会制共和国であるが、無党派農民も結集しながら主導権は共産党が握り人民革命軍を編成、パルチザン部隊を正規軍化して白軍を打破、日本軍を撤退に追込み日本軍がシベリアから撤退後はソビエト・ロシアに併合されました。

ブラゴベシチェンスク(アムール州執行委員会)発行切手

1920年2月6日にアムール州ブラゴベシチェンスクに「労農兵士コサック代表ソビエト臨時執行委員会」が成立、短期間存在した共産主義政権であるが独自の郵便切手を発行しています。

アムール州の紋章の周囲にАмурская областная почтовая маркаアムール州郵便切手)」の銘と交叉した2つの郵便角笛を描いた無目打切手「2・5・15・30.ルーブル」の5種類が額面価格で発行されています。

ベルフネウディンスク(沿バイカル臨時政府)発行切手

1920年4月6日にザバイカル州西部のベルフネウディンスクにクラスノシチョコフを首班とする「沿バイカル臨時政府」が成立しました。

帝政ロシア時代の切手に「Временная земская власть Прибайкалья(沿バイカル臨時政府)」 の銘とその下に旭日を背景に鋤(すき)を加刷した独自の切手を発行しています。

ウラジオストック(極東共和国沿海州政府)発行切手

1920年12月13日、沿海州のヴラジオストク「沿海州自治会臨時政府(浦塩臨時政府)」が成立しました。

帝政ロシア時代の郵便切手とオムスク政府(帝政ロシア時代の切手にコルチャーク政権下で額面を加刷された切手)に極東共和国(Дальне восточная Республика)を表す略号「ДВР」を加刷した郵便切手が発行されています。

チタ(極東共和国)発行切手

1920年4月6日にベェルフネウヂンスクでザバイカル地方制憲大会が開催されて「極東共和国」の成立を宣言、同年8月、チタに駐屯していた日本のシベリア派遣軍が撤退すると首都をベェルフネウヂンスクからチタへ移した。

1921年11月~12月に極東共和国の全領域で使用する為に独自の図柄・額面の郵便切手が10種類(1коп~50коп)無目打で発行され切手には極東共和国の紋章が描かれており、それらは極東共和国の国立印刷所で白紙にリトグラフ印刷されました。

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