ケレンスキー内閣発行葉書に極東共和国で加刷して使用
1922年6月19日にНИКОЛЬСКЪ УССУРИИСКЪ( ニコリスク-ウスリースク)で投函された横浜宛のはがきです。
ケレンスキー政権
1917年3月12日(露暦2月27日)ペトログラードで発生した2月革命でロマノフ王朝は崩壊しました。
1917年3月15日にゲオルギー・ルヴォフ公が臨時政府を組織しケレンスキーが臨時政府首相に就任、ケレンスキー政権が誕生しました。
1917年11月 7日 (露歴10月25日)にロシア10月革命でレーニンが主導のボリシェビキ[赤軍]が、ケレンスキー政権を打倒してボリシェビキ政権が誕生しました。
ケレンスキー内閣が発行した葉書(郵便料金)
ケレンスキー内閣によって発行された葉書に沿海州で使用する為にウラジオストック極東共和国(沿海州政府)が極東共和国(Дальне восточная Республика)を表す略号 「ДВР」を加刷した葉書が使用されています。
加貼されている2коп切手はウラジオストック反共政権(沿アムール臨時政府)により発行された2коп切手が使用されています。
この時期の適正な郵便料金は不明ですが「何故に2коп切手の加貼が必要であったのか?」それでも郵便料金の不足「T」印があり、適正な郵便料金は不明です。
ご存知の方、ご教示をお願い致します。
ニコリスク-ウスリースク消印の年号が「1912年」と誤植されていますが葉書に書いてある記述から1922年と思われます。
このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
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