セミョーノフ政権崩壊後【5рубль】加刷切手の使用例
セミョーノフ政権で帝政ロシア時代の5коп普通切手に5рубльを加刷した切手を使用したカパーです。
1921年4月21日にЧИТА(チタ)で投函された郵便ですが、既にセミョーノフ政権は崩壊しており、中継印によれば約4ヵ月後の8月13日にЕТРОПАВЛОВСКЪ КАМЧАТЪ(ペトロパブロフスクカムチャッカ)を経由して、Czechoslovakia(チェコスロバキア)に届(着印はありません)いた郵便と思われます。
セミョーノフの政権
1919年末頃にコルチャークが革命軍[赤軍]に軍事的敗北により本拠地オムスクから逃走しており コルチャーク政権崩壊後、セミョーノフは1920年10月に革命軍がチタを占領するまでシベリアの支配者として独自政権[ザバイカル臨時政権]を確立していましたが、1920年10月21日に極東共和国人民革命軍[赤軍]に敗北しセミョーノフの政権は崩壊しています。
郵便料金
1920年7月以降セミョーノフ政権下での郵便料金は「封書が25рубль葉書が10рубль」ですが、 この封書は5рубль加刷切手2枚[10рубль]が使用されており、セミョーノフ政権下の郵便料金とすれば「葉書料金」となります。
拠って、このカバーに使用されている切手はセミョーノフの政権崩壊後に使用された事になり、このカバーの郵便料金が「セミョーノフ政権下の郵便料金」が適用されているのか、「極東共和国の郵便料金」が適用されているか不明です。
セレムガ証明書
このカバーもオークションで入手したものですが、入札の前に「逓信経路」とか「郵便料金」に付いて疑問点が拭いきれず、ずいぶんと迷いましたが「2018年に発行されたセレムガ証明書 」が添付されている。との事であり、オークションに参加して落札できたカバーです。
添付されていた証明書に「倍率630倍の特殊な科学顕微鏡を使用するとオーバープリントインクは、透過光とUV照明の両方で正しい構造/組成を示します」と記載されているが、郵便料金・逓信経路 等々に付いての記載はありませんでした。
セミョーノフ政権下のカバーには偽造品等が多いと聞いております。
このカバーに付いての疑問「郵便料金」「逓信経路」「セレムガ証明書の信憑性」等々 ご存じの方ご教示をお願いします。
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