ВЛАДИВОСТОКЪ~HARBIN(哈爾賓)宛の郵便
イギリスのセラーから購入したカバーです。
1922年11月17日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函されて、11月19日(民国十一年十一月十九日)にHARBIN(哈爾賓)に届いた郵便です。
使用された切手(郵便料金)
コルチャーク政権崩壊(1919年末頃)後にウラジオストックで発足した極東共和国(沿海州政府)が極東共和国(Дальне Восточная Республика)を表す略号 「ДВР」と額面を加刺した切手が発行されており、このカバーには帝政ロシアの15коп普通切手に「ДВР」と共に額面「К7К」を加刷した切手2枚と、チタ(極東共和国)で発行された3коп切手2枚が使用されています。
更に日本シベリア出兵軍の支援を受けた資本家メルクローロフを首班とする軍隊とカッペリ兵団が、極東共和国(沿海州政府)を打倒して新たに樹立したウラジオストック反共政権(沿アムール臨時政権)により発行された5коп切手4枚が使用されています。
拠って、この郵便物に使用された切手の額面は40коとなり、適正な郵便料金の使用例となります。
1922年10月25日に日本軍がシベリアから撤退したことにより極東共和国の必要が無くなり、1922年11月15日に極東共和国はソビエト連邦に併合されてロシア革命に伴う内戦は終了しました。
拠って、この郵便は内戦終了の2日後にウラジオストックで投函されたカバーとなります。
このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
コメント