反共政権沿アムール政権発行切手使用【EESTI宛】
1921年4月21日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函されて、Via England で1921年6月3日にEESTI(エストニア)に届いた葉書です。
MADE IN JAPAN 古い絵葉書が使用されています。
使用された切手(郵便料金)
ウラジオストック反共政権「沿アムール政権」に於いて4種類(2коп・4коп・5коп・10коп)の無目打でロシアの臨時政府の紋章が描かれた独自の額面の郵便切手が発行されています。
これらの郵便切手は、ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)で使用するために準備されていたものであるが、ウラジオストック反共政権(沿アムール政権)」により発行・使用されています。
このカバーには4коп切手1枚が使用されています。
日本軍の後援で赤軍や極東共和国[人民革命軍]と戦っていたウラジオストック反共政権(沿アムール政権)は、1922年10月25日に日本軍がシベリアから撤退した事により崩壊しています。
反共政権(沿アムール政権)切手発行時期
ウラジオストック(反共政権)により4種類の無目打でロシアの臨時政府の紋章が描かれた独自の額面での郵便切手が発行されており、これらの郵便切手は、ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)で使用する為に準備されていたが、1921年7月に反共政権(沿アムール臨時政府)により発行され使用されている。
私の切手収集は、このWebに紹介されている記事に基づいて収集・分類・整理をしてコレクションを楽しんでいます。
ロシアの切手(革命期のシベリア・極東地区)
6)プリ=アムールおよびマルチン州(ウラジオストック反共政権)
このWebに1921年7月ウラジオストック(反共政権)で発行された切手に関する記事に、「これらの切手は、極東共和国で使用するために準備されたものであるが、実際に発行・使用したのは反共政権である。」とあります。
極東共和国の郵便制度にも以下の通り、記載されています。
ヴラヂヴォストクでは、独自の図柄の4種類の額面価格の郵便切手が発行されているが、切手は無目打で、ロシアの臨時政府の紋章が描かれて、その周囲に 「極東共和国」 の銘、交叉した2つの郵便の角笛の記章が紋章の下に入っています。
切手は単色で、細かい網の入った用紙にリトグラフ印刷されている。
これらの郵便切手は、極東共和国で使用するために準備されたものであるが、1921年5月26日にヴラヂヴォストクで駐留日本軍の支持の基にクーデターを起こしたコルチャーク軍の残党であるカッペリ兵団によって 樹立された 「沿アムール臨時政府 Приамурское временное правительство 」 が1921年7月に発行し使用した。
何れも「1921年7月に発行し使用した。」とありますが、ここに紹介しましたカバーは1921年5月8日に既に使用されており、発行前に使用されたことになります。
100年以上も前の歴史の中の2・3カ月程度の相違なんて、「タイシタ事」ではないと思われますが、郵趣家の立場で云えば、この発行年月日が正確な場合、発行前に使用されたとして「珍品」になるのでは?なんて思っています。
発行年月日が何に基づいたものか、詳しく、ご存じ方、ご教示をお願いします。
このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
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