シベリア鉄道【ЧИТА 242 ИРКУТСКЪ】【Paris宛】
1922年10月?日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函されたFrance/Paris宛の葉書ですシベリア鉄道印 1922年11月2日、ЧИТА(チタ)– 242- ИРКУТСКЪ(イルクーツク)の中継印が確認できますが着印はありません。
使用された切手(郵便料金)
1921年5月26日、資本家メルクーロフを首班とする軍隊とセミョーノフ軍の残党であるカッペリ兵団がクーデターにより、ウラジオストック(極東共和国沿海州政府)を打倒、反共政権(沿アムール政権)を樹立しました。
1921年7月に反共政権(沿アムール政権)が4種類(2коп・4коп・5коп・10коп)の無目打切手を発行したとされる10коп切手1枚が使用されています。
1920年4月6日、ベェルフネウヂンスクでザバイカル地方制憲大会が開催されて「極東共和国」の成立が宣言され、8月、チタに駐屯の日本シベリア出兵軍が撤退すると首都をベェルフネウヂンスクからチタへ移しています。
1921年11月~12月、極東共和国の全領域で使用する為の独自の図柄の郵便切手が国立印刷所で印刷、切手には極東共和国の紋章が描かれており、10種類(1коп~50коп)の額面で発行されました。
チタ(極東共和国)で発行された20копの切手が使用されており、反共政権(沿アムール政権)で発行された10коп切手と合わせて30копの切手が使用されており、適正な郵便料金か否か不明です。
この絵葉書がВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函された時期とロシアでの内戦の終焉と「ほぼ同時期」であり、非常に興味のあるマテリアルです。
1922年10月25日に日本軍がシベリアからの撤退により極東共和国の必要が無くなり、11月15日にソビエト連邦は極東共和国を併合しロシア革命に伴う内戦は終了しています。
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