英国シベリア出兵軍関連のカバー

コルチャーク政権下の使用例

英国シベリア出兵軍関連のカバー

1919.JU.14日(JUN 6月・JUL 7月か特定できません)にウラジオストックで投函された市内便です。

BRITISH MISSION POST OFFICE VLADIVOSTOCK(ブリティッシュ ミッション ポスト  オフィス ウラジオストック)の消印があり、シベリアに出兵したイギリス軍のカバーと思われます。

 使用された切手(郵便料金)

 帝政ロシア時代の普通切手にコルチャーク政権が独自の額面「35konを加刷した切手が使用されていますが、コルチャーク政権下の郵便料金は「国外の郵便料金70kon」であり、国内の郵便料金を半額とみれば適正な料金となります。

コルチャーク政権とイギリスのシベリア出兵軍

 19181011日にオムスクに反革命政権「全ロシア臨時政府」が樹立され、ロシア革命に干渉しシベリアに出兵したイギリス・フランスの後援でコルチャークが陸海軍相に就任しましたが、オムスクでクーデターを起こしてウラル地方全域に軍事独裁体制を確立した。

コルチャーク政権は終始イギリスの支援を受けており、支援の中断が「コルチャーク政権」崩壊の一因とも云われています。

19191114日には革命軍(赤軍部隊)がオムスクを占拠しており、コルチャーク独裁政権は軍事的敗北により1年程度で崩壊しています。

コルチャーク政権が発行した切手の使用例として現時点での収集品の内、最も早い使用例は191959日となり、1921515日が最も遅い使用例となります。

但、少々疑問の残るカバーの使用例としては1923523日がありますが、順次、紹介していきますのでよろしくお願い致します。

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