コルチャーク政権3рубль帝政ロシア7рубль切手【RIGA/LATVIA宛】
コルチャーク政権発行3рубль切手と 帝政ロシア時代7рубль切手を使用したカバー
1920年12月21日にИРКУТСКЪ(イルクーツク)で投函されて、1921年2月12日にRIGA/LATVIA(リガ/ラトビア)に届いた郵便です。
『RIGA(リガ)は第一次世界大戦迄はロシア領であり、20世紀迄はロシアでもモスクワやサンクトペテルブルグに次ぐ都市はRIGA(リガ)でした。
1918年にLATVIA(ラトビア)はブレストリトフスク条約でドイツに割譲されました。
第一次世界大戦の終結でLATVIA(ラトビア)」は独立宣言をしましたが、第二次世界大戦が始まるとRIGA(リガ)は、まずソ連そしてナチス・ドイツに軍事占領されています
1991年にLATVIA(ラトビア)は、独立を回復しRIGA(リガ)も首都となりました。』
使用された切手(郵便料金)
帝政ロシア時代の7коп切手にコルチャーク政権が独自の額面3рубльを加刷して発行した切手と帝政ロシア時代の切手7рубльが使用され「郵便料金10рубль分の切手」を貼り、1920年にイルクーツクで投函されています。
コルチャーク政権の国外宛郵便料金は1рубль[重量郵便(書留郵便3рубль)]であるが、1920年の初頭には既に崩壊しています。
コルチャーク政権が崩壊後、日本シベリア出兵軍の支援を受けてセミョーノフがシベリアの支配者として独自政権[セミョーノフ政権]を確立しています。
セミョーノフ政権も帝政ロシアの普通切手に独自の額面(1рубль~10рубль)を加刷した4種類の切手を発行しています。
この政権による郵便料金は1920年7月以降の郵便料金は「封書が25рубль」「葉書が10рубль」ですが、1920年10月に革命軍[赤軍]がチタを占拠しており、セミョーノフ政権も崩壊しています。
拠って、このカバーに使用されている郵便料金はセミョーノフ政権が崩壊後に使用された事になり、このカバーの郵便料金が「セミョーノフ政権下の郵便料金」が適用されているのか、「極東共和国の郵便料金」が適用されているか不明です。
極東共和国[赤軍]も政権を加刷(一部額面を加刷)した切手を発行・使用しており、それらの切手と共に帝政時代の切手を併用したカバーも多く見受けられます。
拠って、帝政ロシア時代の切手に政権銘・額面を加刷発行した政権が崩壊したとしても「その加刷された額面」で使用されており、特に白軍側のコルチャーク政権が額面を加刷・発行した切手を政権が崩壊後、極東共和国で政権を新たに加刷(再利用)して使用されています。
参考事例
既に「セミョーノフ政権下で帝政ロシア時代の5КОП普通切手に5рубльを加刷した切手使用例」として投稿済です。
1921年4月21日にЧИТА(チタ)で投函されてЕТРОПАВЛОВСКЪ КАМЧАТЪ(ペトロパブロフスクカムチャッカ)を経由でCzechoslovakia(チェコスロバキア)に届いた郵便です。帝政ロシア時代の5КОП普通切手にセミョーノフ政権下で5рубльを加刷した切手2枚(10рубль)が使用されています。
このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
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