コルチャーク政権発行切手を使用した郵便物
この郵便物は残念な事に表面は切り取られており、使用された切手と2カ所の消印以外の情報は得られません。
消印から1919年9月28日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函されており、1919年9月30日にБЛАГОВЕЩЕНСК АМУР(ブラゴベシチェンスク アムール)に届いた郵便物と思われます。
アムール州ブラゴベシチェンスク
ロシア革命に伴いロシア内戦に干渉して日本政府は1918年8月2日にシベリア出兵を宣告しており、先発隊は8月11日にウラジオストックに上陸しています。
ロシア白軍を支援する日本軍はシベリア出兵の一環として、ウラジオストックに上陸後、北上して9月4日にハバロフスクへ進駐し沿海州(プリモーリエ州)及び黒龍州(アムール州)を制圧しており、9月18日にはブラゴベェシチェンスクを占拠しています。
ブラゴベェシチェンスクは日本と関わりの深い地(尼港事件)ですが、コルチャーク政権が崩壊後、革命勢力(赤軍)がブラゴベシチェンスクに入城しており、1920年2月6日にアムール川左岸の町アムール州ブラゴベシチェンスクに人民革命委員会[労農兵コサック代表ソビエト臨時執行委員会]が樹立されています。
短期間存在した共産主義政権ですが、1920年4月6日に樹立された極東共和国に併合されています。
短期間の使用ではありますが、独自の郵便切手【無目打でアムール州の紋章の周囲に「Амурская областная почтовая марка(アムール州郵便切手)」 の銘と交叉した2つの郵便の角笛が描かれた5種類】が発行されています。
使用された切手(郵便料金)
帝政ロシア時代の2коп普通切手にコルチーク政権下で35копを加刷した切手1枚が使用されています。
コルチャーク政権下での郵便料金(国外)は70копであったが、1919年7月から新料金を採用しており、国外の郵便料金は1рубльとなっています。
この郵便物が1919年以前の使用であれば国外の郵便料金70копの「国内郵便を国外郵便料金の半額」と見做せば35копは適正な郵便料金とも考えられますが、1919年9月30日の使用となっており、適正な郵便料金となるのか否か?不明です。
このマテリアルはオークションに出品(処分)予定をしております。希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
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