コルチャーク政権崩壊後の郵便

コルチャーク政権崩壊後の使用例

コルチャーク政権崩壊後の郵便

1920年8月12日にХАБАРОВСК(ハバロフスク)で投函されて、ウラジオストックで検閲(長方形の検閲印)を受けて、LONDON.E.C.を経由(中継印)して1920年9月20日にDENMARK(デンマーク)のCOPENHAGEN(コペンハーゲン)に届いた郵便です。

使用された切手(郵便料金)

使用されています切手は帝政ロシア時代の1коп切手にコルチャーク政権下で額面70копを加刷した切手2枚と、帝政ロシア時代の50коп切手2枚・20коп切手3枚の切手(合計7枚の切手・3рубль)が使用されています。

コルチャーク政権の国外宛の郵便料金は70копでしたが、1919年7月に郵便料金の改正があり国外宛の郵便料金は1рубль[重量郵便(書留郵便3рубль)]となっています。

この書留郵便には3рубль分の切手が使用されています。

3рубль分の切手を使用した国外宛の書留郵便料金は、コルチャーク政権下の適正な料金となりますが、1920年の初頭にはコルチャーク政権は既に崩壊しており、コルチャークは1920年2月7日に極東共和国軍事革命委員会によって銃殺されています。

拠って、この郵便料金が適正か否かは不明ですが「おそらくコルチャーク政権下の郵便料金を適用した郵便物」と思われます(私見です)。

 

 

 

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