エカテリンブルグで使用された絵葉書

コルチャーク政権崩壊後の使用例

コルチャーク政権崩壊後に【70Коп切手】の使用例

19191230日にЕКАТЕРИНБУРГЪ(エカテリンブルグ)で投函された絵葉書です。
この年の11月14日にコルチャーク政権の中心地であるオムスクを革命軍【赤軍】が占拠しており、事実上コルチャーク政権の崩壊後の使用となります。

使用された切手(郵便料金)

使用され切手は帝政ロシア時代の1Коп普通切手にコルチャーク政権下で額面「70Коп」を加刷した切手が使用されています。
コルチャーク政権の郵便料金は「70Коп」であり、コルチャーク政権で額面「35Коп」とか「70Коп」を加刷した切手が良く使用されています。
但、19197月に新しい郵便料金が採用されて郵便料金は1рубльとなっています。
この葉書がコルチャーク政権の崩壊前の郵便料金が使用されているのか解かりません。
拠って、この絵葉書の郵便料金が適正か否か不明です。
但、郵便料金が不足とする標示はありません。

帝政ロシア最後の皇帝(ニコライ2世)

1917312日(露暦227日)に首都ペトログラードで発生した2月革命により14代ニコライ2世が退位し帝政ロシア(ロマノフ王朝)は崩壊しており、帝政が崩壊した後、皇帝一家は臨時政府によってシベリア西部のトボリスクへ追放されました。
10月革命後、エカテリンブルクへ移送された皇帝一家はイバチェフ館に幽閉されましたが、反革命軍【白軍】側による皇帝一家救出を恐れた革命政権【赤軍】側が1918717日にイバチェフ館の地下室で一家全員を銃殺しました。
拠って、特に珍しい使用例ではありませんが、ЕКАТЕРИНБУРГЪ【エカテリンブルグ】地名は私にとって「最後のロシア皇帝(ニコライ2世)一家が処刑された所」として強く記憶に残っています。

 

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