帝政ロシア時代崩壊直後の郵便

帝政ロシア末期~シベリア内戦

大阪(OSAKA)から露領チュメーニ宛のカバー


1917年12月29日に大阪で投函されВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で検閲、1918年1月1日(露歴1月14日)にТЮМЕНЬ(チュメニ)に届いたカバーです。

帝政ロシアの時代背景

1917年3月12日(露暦2月27日)首都ペトログラードで発生した2月革命でニコライ2世が退位しロマノフ王朝は崩壊しており、
3月15日にゲオルギー・ルヴォフ公が臨時政府を組織してアレクサンドル・ケレンスキーが臨時政府首相に就任したが、11月7日(露歴10月25日)にロシア10月革命でレーニン指導のボリシェビキ[赤軍]がケレンスキー政権を打倒してボリシェビキ政権が誕生しました。

ボリシェビキ政権が誕生すると帝政復帰派・元制憲会議委員が組織した反革命軍[白軍]が外国干渉軍の支援を受けて各地で反乱【ロシア内戦】を起こして独自政権の樹立を宣言しています。
この時期のシベリアでの内戦が、私の郵趣の収集範囲とする処です。
1918年1月29日に社会革命党が中心となり「暫定シベリア政府(シベリア共和国)」が発足しました。

【旧ロシア帝国領のウラルから東清鉄道やハルビン市を含む太平洋側までの地域を領有として、社会主義連邦ソビエト共和国からの独立宣言をした。】

10月11日、シベリア共和国はオムスクに発足した反ソビエト政権「全ロシア臨時政府」に吸収され消滅。

イギリス及びフランスの後援を得て「全ロシア臨時政府」の陸海軍相に就任したコルチャークが、オムスクでクーデターを起こしウラル以東のほぼ全域に軍事独裁政権(コルチャーク政権)を樹立しています。

使用された切手(郵便料金)

1914年に発売された2銭の田沢切手1枚が使用されていますが、
外国宛の郵便料金は10銭ではないかと記憶しています。

但、印刷物の郵便料金は2銭と何かで見た様な記憶があります。

何れも明確な記憶では無く、ご存じの方、ご教示お願い致します。

チュメニ市はシベリア西部のエカテリンブルグとオムスクとの間に位置したチュメニ州の州都です。

このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。

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