セミョーノフ政権発行切手の使用例
セミョーノフ政権が加刷・発行した切手を使用したカバーです。
1919年末頃に革命軍[赤軍]に軍事的な敗北によりコルチャーク政権が崩壊後、セミョーノフは1920年10月に革命軍がチタを占領するまでシベリアの支配者として独自政権[ザバイカル臨時政権]を確立していた。
このカバーは、1920年7月30日にЧИТА(チタ)で投函されて、同8月6日にХАРБИНЪ(ハルビン)宛の郵便物ですが、消印も確認できます。
2021年6月に東欧のオークションハウスよりセミョーノフ政権が発行した切手を使用したカバー3点が出品されました。
おそらく同一コレクターの処分品ではないかと思われますが、私が、この分野の収集を始めて既に20年以上(一時期中断)経過しますが、セミョーノフのカバーがオークションに出品されたのは6度目です。
【但し、私が確認でき参加したオークションに限ります。】
今迄にもオークションに参加しましたが予算の関係で何れも「高値更新」されて、何れも惨敗しています。
20年以上掛けて「やっと入手できたマテリアル」ですが、 セミョーノフ政権下で発行された切手は4種類であり、何れもロシア帝政時代の普通切手に独自の額面を加刷したものです。
シベリアの一部の地域で短期間に使用された切手であり、発行された切手も比較的少なく「使用済切手」の収集も比較的困難です。
となると当然、偽物も多くなり、やっと入手できましたこのカバーに関しても疑念は残ります。
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使用された切手(郵便料金)
1920年7月以降のセミョーノフ支配地域の郵便料金は「封書が25рубль」で「葉書10рубль」であり帝政ロシア時代の普通切手にセミョーノフ政権下で「10рубльの額面が加刷」されました切手が2枚(ペアー)と「5рубльが加刷」された切手1枚の25рубльが使用されています。
差出局(ЧИТА)と云い宛先(ХАРБИНЪ)と云い郵便料金(封書が25рубль)共に条件は揃っていますが、如何なものでしょうか❓
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