ウラジオストックのアメリカ領事館~る横浜経由便
ВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)のアメリカ領事館から外交文書として投函、YOKOHAMA(横浜)のアメリカ領事館(DEC 14 1918受領印)宛に届いています。
おそらく受領後1918年12月14日にYOKOHAMA(横浜)のアメリカ領事館で私的文書として、田沢切手を貼りYOKOHAMA(横浜)で投函された郵便物と思われます。
着印はありませんが、返送された痕跡は無くMassachusetts, U.S.A.(U.S.A.マサチューセッツ州)に届いた郵便と思われます。
然しアメリカ側で検閲(OPENED BY CENSOR. №1524)されていますが、ウラジオストックのアメリカ領事館から差出された時点では「外交郵便」とすれば検閲は免除されていると思いますが、私の記憶違いでしょうか?。
使用されました切手(郵便料金)
1914-25年に発行された旧大正毛紙10銭切手と思われますが、1913年に発行の大正白紙10銭切手の可能性(私には識別できません)もあります。
いずれにしても田沢切手10銭切手1枚が使用されており適正な郵便料金と思われます。
連合国によるシベリア出兵
ロシア革命に対する軍事干渉は1918年~22年まで行われました。
日本軍はアメリカ軍と共に1918年8月、シベリアに共同で派兵していますが、連合国のシベリア出兵に関するマテリアルの収集は「あまりにも広大な収集範囲」となり断念しました。
そこでシベリアで発行された切手(コルチャーク政権下で加刷された切手とセミョーノフ政権下で加刷された切手)が使用されたカバー類を中心に収集してきましたが、田沢切手の魅力に負けて3点のマテリアルを収集できましたので順次紹介します。
今回紹介は増すマテリアルは、ウラジオストックのアメリカ領事館から外交文書として横浜のアメリカ領事館(DEC 14 1918 受領印)経由でU.S.A.マサチューセッツ州に届いた郵便です。
外交郵便か?なぜ日本で田沢切手が貼られたのか?どこで検閲を受けたのか?確かなことは不明ですが、この郵便が投函された時点では、既にアメリカ軍はシベリアに出兵しおり、独断でシベリア出兵と関連付けて収集したマテリアルです。
連合国のシベリア出兵に関するマテリアルの収集は「あまりにも広大な収集範囲」となり断念しました。
そこでシベリアで発行された切手(コルチャーク政権で加刷された切手とセミョーノフ政権で加刷された切手)が使用されたカバー類を中心にコレクションしてきましたが、田沢切手の魅力に負けて3点のマテリアルを収集できましたので順次紹介します。
今回紹介は増すマテリアルは、ウラジオストックのアメリカ領事館から外交文書として横浜のアメリカ領事館(DEC 14 1918 受領印)経由で、U.S.A.マサチューセッツ州に届いた郵便です。
外交郵便か?なぜ日本で田沢切手が貼られたのか?どこで検閲を受けたのか?確かな事は不明ですが、この郵便が投函された時点で既にアメリカ軍はシベリアに出兵しおり、独断でシベリア出兵と関連付けて収集したマテリアルです。
このマテリアルはオークションに出品(処分)予定をしております。希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。
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