セミョーノフ政権発行切手【Р.10Р.】加刷
セミョーノフ政権で加刷・発行された切手【Р.10Р.】
シベリアへ出兵した日本軍の支援(日本と最も近い関係にあった政権)を受けてセミョーノフ政権が樹立すると、帝政ロシアの切手にチタ国立銀行の活版印刷部門で独自の額面(1рубль10рубль)を加刷した4種類の切手が発行されています。
今回紹介しますセミョーノフ政権で加刷・発行されました切手が4種類目の切手となります。
帝政ロシア発行の70КОП(ブラウン/オレンジ色)の普通切手に額面【Р.10Р.】を加刷・発行されていますが、この切手にも額面[10рубль]の加刷に「加刷ミス」の変種?が見受けられます。
画像、左側の切手は加刷した額面[Р.10Р.]が左側に向いている一般的な加刷切手です。
画像、中央の切手は額面[Р.10Р.]が反転して右側に向いています。
画像、右側の切手は額面[Р.10Р.]の加刷が右にシフトしている切手です。
未だ収集できていない「加刷ミス」の変種?があると思われますが、この様に額面の「加刷ミス」を変種?と云うべきか?どうかは解かりません。
何れも短期間に限られた地域での使用の為か使用済切手は非常に少ないです。
以上、セミョーノフ政権下で額面(1рубль~10рубль)が加刷された切手の紹介は終わりますが、セミョーノフ政権について簡単に説明をしておきます。
セミョーノフ政権
セミョーノフは、ザバイカル州のコサック出身[父親はロシア、母親はモンゴル系のブリヤート人]帝政ロシアの一等大尉であり、第一次大戦に従軍し1917年の夏に帰還しています。
ザバイカルに帰還後、臨時政府にコサック及びブリヤート人の義勇軍部隊を組織する委員に任命され十月革命直後の北満洲を基盤に「特別満洲分遣隊 Особый Маньчжурский отряд」白衛軍組織を編成してザバイカル州の革命勢力と対決していた。
1918年8月11日、連合国によるシベリア軍事干渉が開始されるとウラジオストックに上陸した日本軍の支援の基にセミョーノフ軍[特別満洲分遣隊]はザバイカル州へ侵入しダウーリヤを占領。
反革命地方政権「ザバイカル臨時政府 Временное Забайкальское Правительство」を樹立したコルチャーク独裁政権の崩壊後、セミョーノフは1920年10月に革命軍がチタを占領するまでシベリアの支配者として独自政権を確立。
1920年10月21日に極東共和国人民革命軍に敗北してセミョーノフの政権は崩壊、日本軍がシベリアから撤退(1922年10月25日)すると国外(米国、日本、中国)に亡命して反ソ活動を続けていたが第2次世界大戦末期(1945年8月)に満州に進駐したソ連軍[赤軍]に逮捕されて、モスクワで国家財産略取の罪で絞首刑となっています。
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