セミョーノフ政権発行切手【Р.1.Р】1рубль加刷
セミョーノフグリゴリー・ミハイロヴィチ
(Семёнов, Григорий Михайлович, 1890年9月13日-1946年8月30日)
ザバイカル州のコサック出身の一等大尉であり、第一次大戦にコサック騎兵として従軍し1917年の夏に帰還しています。
臨時政府によってコサック及びブリヤート人の義勇軍部隊を組織する為の委員に任命され十月革命 直後の北満洲を基盤に「特別満洲分隊 Особый Маньчжурский отряд」 白衛軍組織を編成して、 ザバイカル州の革命勢力と対決しています。
1918年8月11日、連合国によるシベリア軍事干渉が開始されるとウラジオストックに上陸した日本軍の支援でセミョーノフ軍[特別満洲分遣隊]はザバイカル州へ侵入、ダウーリヤを占領して、反革命地方政権「ザバイカル臨時政府 Временное Забайкальское Правительство」を樹立。
極東3州 (ザバイカル州、アムール州、沿海州) の確保を目論む日本の参謀本部はセミョーノフ軍に対して武器と資金を提供して軍事顧問団を派遣するなど密接な関係をもった。
コルチャーク独裁政権の崩壊後、セミョーノフは1920年10月に革命軍がチタを占領するまで シベリアの支配者として独自政権を確立。
1920年10月21日に極東共和国人民革命軍に敗北してセミョーノフの政権は崩壊しており、日本軍がシベリアから撤退(1922年10月25日)すると国外(米国、日本、中国)に亡命して、反ソ活動を続けていたが、第2次世界大戦末期(1945年8月)に満州に進駐したソ連軍[赤軍]に逮捕されてモスクワで国家財産略取の罪で絞首刑となっている。
セミョーノフ政権下で発行された切手
ロシア帝国時代の切手にチタ国立銀行の活版印刷部門で額面(1рубль~10рубль)4種類の加刷 切手が発行されています。
セミョーノフ政権下で額面を加刷・発行した切手には「加刷ミス」の変種?が見受けられますが、 短期間に限られた地域での使用であり「使用済の切手・カバー類」は非常に少ないと思われます。
画像にあります額面[Р.1.Р]1рубльの加刷切手は、帝政時代の4коп切手に額面[Р.1.Р]が左側に向いている一般的な加刷切手と額面[Р.1.Р]の加刷が上部にスライドしている切手です。
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