コルチャーク政権発行切手の使用例
1920年2月28日にМАНЬЧЖУРИЯ(満州里)で使用(投函)されたカバーですが、着印はありません。
宛名等々に付いては私には判読できません。
【お願いします。宛名等に付いて判読できる方、教えて下さい。】
このマテリアルは東欧のオークションで入手したものですが出品者の説明に
「Probably the only recorded use of the 70 kopeks in East Siberia!」
【(日本語に訳)おそらく東シベリアで70копの使用が記録されている唯一の物!】との説明があり、唯一の記録か否かは不明ですが、珍しい使用例には間違いは無く入手(落札)したカバーです。
使用された切手(郵便料金)
使用されています切手は全て帝政ロシア時代の普通切手にコルチャーク政権下で独自の額面を加刷した切手が使用されています。
35копが加刷された目打有切手1枚。
50копが加刷された目打有切手と目打無切手が各1枚(合計2枚)。
70копが加刷された目打有切手と目打無切手が各1枚(合計2枚)。
拠って、このカバーには合計で2рубль75коп分の切手が使用されていますが、この郵便料金が適正か否かは不明です。
歴史的な時代背景
コルチャーク政権は1919年の末頃には軍事的敗北により、本拠地であるオムスクを革命軍【赤軍】により奪回されて撤退、事実上崩壊しています。
1920年1月15日に革命軍【赤軍】にイルクーツクで逮捕、革命委員会の裁判を受けて、
1920年2月7日に銃殺されています。
拠って、コルチャークが銃殺された21日後に使用されたカバーとなります。
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