東京のロシア大使館~フランス宛の郵便

帝政ロシア末期~シベリア内戦

東京のロシア大使館~フランス宛の郵便

大正9年(1920年)1月14日に芝琴平町(東京)の郵便局で投函された書留郵便ですが、差出人は東京のロシア大使館(Russian Embassy.- Tokio)となっています。

宛先はBordeaux(France)フランスのボルドー宛で1920年2月7日に届いています。

現在のロシア連邦大使館は東京都港区麻布台にありますが、この郵便物が差出された1920年頃のロシア大使館は芝琴平町(差出局)付近だったのでしょうか?

使用された切手(郵便料金)

大正白紙切手20銭と6銭切手が其々1枚(計26銭)使用されています。

国外宛の郵便料金+書留郵便+定形外か重量郵便料金が加算されたのでしょうか?適正な郵便料金(セラー側の説明)との事です。

 歴史的な背景

1917年3月12日(露暦2月27日)首都ペトログラードで発生した2月革命でニコライ2世(帝政ロシアの最後の皇帝)が退位したことにより帝政ロシア(ロマノフ王朝)は崩壊しています。

1917年3月15日にゲオルギー・ルヴォフ公により臨時政府が組織されており、7月21日にアレクサンドル・ケレンスキーが臨時政府首相に就任しています。

ロシア10月革命(11月7日・露歴10月25日)でレーニン指導のボリシェビキ[赤軍]がケレンスキー政権を打倒してボリシェビキ政権が誕生しました。

ボリシェビキ政権が誕生すると反革命軍[白軍]が外国干渉軍(連合国のシベリア出兵)の支援を受けて各地で反乱[ロシア内戦]を起こして、独自政権の樹立を宣言すると共に独自の切手を発行しています。

ロシア革命に干渉して日本・アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・中国・カナダ各国が軍隊を派遣したが、1920年初頭には日本以外の国の軍隊は殆ど撤退しています。

日本は政治的中立を宣言するもシベリアには大軍が残留しており「オムスクより敗走するコルチャーク軍を追撃して来た赤軍部隊と日本派遣軍との直接的な軍事衝突を避ける為」の緩衝国として、1920年2月18日に「極東共和国」の創設が決定されました。

とすれば、この郵便が投函された1920年1月14日には既にロシア帝国は崩壊しており、ケレンスキー政権もレーニン指導のボリシェビキ政権[赤軍]により打倒されてます。

ロシア革命(ボリシェビキ政権)に干渉して日本及び連合国の軍隊がロシア(シベリア)に出兵しており、ボリシェビキ政権下のロシア大使館とシベリアへ軍隊を派遣し反革命軍の支援をしている日本との関係に付いて考えさせるマテリアルだと思います。

1922年10月25日に日本軍がシベリアより撤退すると極東共和国の必要が無くなり、 11月15日にロシア社会主義連邦ソビエト共和国は、極東共和国を併合してロシア革命に伴う内戦は終了しました。

このマテリアルに関しては、オークションに出品(処分)予定をしております・・希望される方は、「russee@outlook.jp」迄、連絡を下さい。

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