東京~ロシアArchangel(Archangelsk)宛の絵葉書

帝政ロシア末期~シベリア内戦

東京~ウラジオストック・上海経由のロシア宛の絵葉書

1919年5月15日に東京(TOKIO)で投函されたロシア(アルハンゲリスク)宛の絵葉書ですが、上海(SHANGHAI)の中継印があり、確認できる日付は1919.JUN.9.です。

検閲印に付いて

1919年5月15日に東京で投函されて上海で6月9日付の中継印があるロシア(アルハンゲリスク)へ届いた絵葉書ですが、ウラジオストック(ВЛАДИВОСТОКЪ)で検閲と共に日付(MAY.13.1919)がスタンプされています。

ウラジオストックで検閲された同型の検閲印は何度か見た事がありますが、日付も一緒に押された検閲印は初めて見ました。

帝政時代のロシアではユリウス暦(露歴)を使用しており、ロシア革命後はグレゴリオ暦(現行歴)を使用していますが、ウラジオストックでの検閲時に旧暦のユリウス暦を使用したものでは無いか?と自分なりに納得しております。

革命から既に2年近く経過していたとしてもロシア革命に起因した内戦の真只中であり、可能性は大と思われます。

1919年5月15日に東京で投函、5月26日【5月13日(+13日)】にウラジオストックで検閲6月9日に上海での中継印となり、妥当な日付と思われます。

もう一点、丸形の検閲印がありますが、日本政府は1918年8月2日にシベリア出兵を宣言しており、8月11日には既に先発隊がウラジオストックに上陸しています。

おそらく円形の検閲印は日本シベリア出兵軍によって実施されたものと推察されますが、詳細は不明です。

使用された切手(郵便料金)

田沢13銭(SEN)切手1枚が使用されていますが、この郵便料金が適正か否かは不明。

歴史的な背景

日本政府がシベリアへの出兵を告示した191882日にイギリス軍はロシア北西部の都市であるアルハンゲリスクに出兵しています。

イギリスの支援でロシアの革命家ニコライ・ヴァシリエヴィチ・チャイコフスキーを首班とする反革命政府が樹立されています。

1918928日に北部地方臨時政府と改称されています。

 【Николай Васильевич Чайковский, 1850年-1926年】

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