セミョーノフ政権で発行された切手【Р.5. Р】5рубль加刷
セミョーノフ政権で額面Р.5. Рを加刷・発行した切手
日本シベリアへ出兵軍の支援を受けて、セミョーノフ政権が樹立されますとロシア帝国時代の切手にチタ国立銀行の活版印刷部門で額面(1рубль~10рубль)4種類の加刷切手が発行されています。
今回は、1912年に帝政ロシアで発行されました5коп普通切手にセミョーノフ政権下で額面[P.5.P]5рубльを加刷・発行した切手を紹介します。
この切手にも額面[P.5.P]の加刷に「加刷ミス」の変種?が見受けられます。
額面[P.5.P]の加刷が、反転している、左右・上下にシフトしている等々の加刷の変種があります。私は、画像にあります(加刷が下部にある一般的なもの)が収集できています。
何れも短期間に限られた地域で発行され使用された切手の為か、使用済切手は非常に少ないです。
帝政ロシア(ロマノフ王朝)の金塊 【ロザノフ将軍の金塊】
1920年1月15日にコルチャークはイルクーツクで赤軍に逮捕され革命委員会の裁判を受け同2月7日に銃殺されています。
コルチャーク政権崩壊後の極東地域の戦況は、日本軍の支援を受けたセミョーノフ配下の反革命武装軍団が、チタ、ハバロフスク、ウラジオストック等の都市に通じる鉄道沿線を占拠・支配しており、コルチャーク軍将兵もセミョーノフ軍に従属せざるを得ない状況であった。
極東・沿海地方責任者でウラジオストックを統治していたセルゲイ・ロザノフ将軍(コルチャーク軍の中心的人物)は、1920年1月29日(コルチャーク軍の敗北直後)浦塩派遣軍司令官・大井成元大将と国立銀行ウラジオストック支店に保管していた金塊の日本移送を討議した。
1月29日~30日に特務機関長・井染禄郎大佐の指揮でラジオストックに停泊中の日本海軍の巡洋艦「肥前」に国立銀行ウラジオストック支店から金塊が積込まれてロザノフ将軍と共に日本へ出港した。
1920年2月17日付「東京日日新聞」によれば、ロザノフ将軍は日本に到着後、金塊売却代金を日本と上海の横浜正金銀行にロザノフ名義で預金。
ソ連側「沿海地方臨時自治政府」はロザノフ将軍を刑事犯罪人として身柄引渡を要求(1911年の日露犯罪人引き渡し条約に基づき)したが、1921年1月 ロザノフ将軍は失踪。ロザノフ名義の預金が残されたが、この預金は日本政府が接収、ロシア側に兵器を売却した日本の輸出業者への未払代金の補償に充当された。
前述の「シベリア出兵90年と金塊疑惑」によるものですが、シベリアへ出兵した日本軍が「反革命コルチャーク政権」及び「反革命セミョーノフ政権」に対して軍事支援を行っておりその見返りが帝政ロシアの金塊・・・?否か不明です。
関心のある方は紹介しました書籍を一読される事をお勧めいたします。
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