ウラジオストック反共政権(沿アムール政権)発行切手使用例
1921年5月8日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函、1921年5月10日に哈爾賓に届いた郵便です。
哈爾賓での着印は2種類の郵便印が確認できますが、何れも1921年5月10日となっていす。
使用された切手(郵便料金)
ウラジオストック反共政権(沿アムール政権)に於いて4種類(2КОП・4КОП・5КОП・10КОП)の無目打で、ロシアの臨時政府の紋章が描かれた独自の額面価格の郵便切手が発行されています。
このカバーには10КОП切手1枚が使用されています。
これらの郵便切手は、ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)で使用する為に準備されていたものであるが、ウラジオストック反共政権(沿アムール政府)により発行されて使用されている。
日本軍の後援で赤軍や極東共和国[人民革命軍]と戦っていたウラジオストック反共政権(沿アムール政権)の反革命軍は、1922年10月25日に日本軍がシベリアから撤退したことにより崩壊しています。
反共政権(沿アムール政権)が切手を発行した時期
ウラジオストック反共政権(沿アムール臨時政府)により4種類の無目打でロシアの臨時政府の紋章が描かれた独自の額面価格の郵便切手が発行されており、これらの郵便切手は、ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)で使用する為に準備されていたが、1921年7月に反共政権(沿アムール臨時政府)により発行され使用されている。
私の切手収集は、このWebに紹介されている記事に基づいて収集・分類・整理をしてコレクションを楽しんでいます。
ロシアの切手(革命期のシベリア・極東地区)
6)プリ=アムールおよびマルチン州(ウラジオストック反共政権)
このWebに1921年7月ウラジオストック反共政権(沿アムール臨時政府)で発行された切手に関する記事に、「これらの切手は、極東共和国(沿海州政庁)で使用するために準備されたものであるが、実際に発行・使用したのは反共政権(沿アムール臨時政府)である。」とあります。
極東共和国の郵便制度にも以下の通り、記載されています。
ヴラヂヴォストクでは、独自の図柄の4種類の額面価格の郵便切手が発行されているが、切手は無目打で、ロシアの臨時政府の紋章が描かれて、その周囲に 「極東共和国」 の銘、交叉した2つの郵便の角笛の記章が紋章の下に入っています。
切手は単色で、細かい網の入った用紙にリトグラフ印刷されている。
これらの切手は、ウラジオストック極東共和国で使用する為に準備されていたが、1921年5月26日にヴラヂヴォストクで駐留日本軍の支持の基にクーデターを起こしたコルチャーク軍の残党であるカッペリ兵団によって 樹立された 「沿アムール臨時政府 Приамурское временное правительство 」 が1921年7月に発行し使用した。
何れも「1921年7月に発行し使用した。」とありますが、ここに紹介しましたカバーは1921年5月8日に既に使用されており、発行前に使用されたことになります。
100年以上も前の歴史の中の2カ月程度の相違なんて、「タイシタ事」ではないと思われますが、郵趣家の立場で云えば、発行年月日が正確であれば、発行前に使用されたとして「珍品」になるのでは?なんて思っています。
追記、私のコレクションの中に1921年4月21日の使用例(葉書)もあります。
発行年月日が何に基づいたものか、詳しく、ご存じ方、ご教示をお願いします。
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