コルチャーク政権崩壊後【米国 宛】の郵便

コルチャーク政権下の使用例

コルチャーク政権崩壊後【米国 宛】の郵便


1920年7月10日にВЛАДИВОСТОКЪ(ウラジオストック)で投函されて、1920年8月9日にNEW YORK(ニューヨーク)に届いた郵便です。

使用された切手(郵便料金)

使用されています切手は、発行年1889年-1910年に発行されました帝政ロシア時代の15коп普通切手4枚ブロックとコルチャーク政権下で帝政ロシア時代の2коп普通切手に額面「35」を加刷した4枚ブロック切手(合計で2рубльの切手)が使用されてます。

コルチャーク政権下の国外宛郵便料金は70копでしたが、1919年7月に郵便料金が改正されて国外宛の郵便料金は1рубль[重量郵便(書留郵便3рубль)]となっています。

この書留郵便には2рубль分の切手が使用されていますが、1920年の初頭にコルチャーク政権は既に崩壊しており、1920年2月7日に極東共和国軍事革命委員会によって銃殺されています。

拠って、この郵便料金がコルチャーク政権下の郵便料金を適用した郵便物か否かは不明ですが、郵便料金の不足を表す表示はありません。

おそらくコルチャーク政権下の郵便料金を適用した郵便物と思われます(私見です)がコルチャーク政権下で加刷された切手の4枚ブロクが使用されているカバーは比較的珍しい使用例ではないかと思われます。

「現在の処、私の収集品では、この1通だけです」。

 

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