極東共和国の成立 [極東共和国で1920~1923年に独自の切手を発行]
1917年に発生したロシア革命に干渉して各国(日本・アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・中国・カナダ)の軍隊がロシア・シベリアに出兵していたが、1920年の初頭には日本以外の国の軍隊は殆ど撤退しています。
日本は政治的中立を宣言ながらもシベリアに大軍が残留しており、1920年2月18日にオムスクより敗走するコルチャーク軍を追撃して来た赤軍部隊と日本派遣軍との直接的な軍事衝突を避ける為の緩衝国として極東共和国の創設が決定されるとロシア極東の各地で革命勢力による政権が樹立されました。
以下の順に発行されました切手を政権別に紹介します。
ブラゴベシチェンスク(アムール州執行委員会)が発行した切手
ベルフネウディンスク(沿バイカル臨時政府)が発行した切手
ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)が発行した切手
チタ極東共和国が発行した切手
チタ(極東共和国)の樹立
1920年4月6日にベルフネウディンスクでザバイカル地方制憲大会が開催されて「極東共和国」の成立が宣言されました。
8月には、チタに駐屯していた日本のシベリア出兵軍がチタから撤退すると10月頃に極東共和国人民革命軍がチタへ進撃、チタに残っていたセミョーノフ軍部隊を駆逐してチタを解放して極東共和国の首都をベェルフネウヂンスクからチタへ移しています。
1921年10月28日~11月10日にかけてチタで「極東諸州代表者会議」が開かれて、極東3州の各地政府[チタ極東共和国の臨時政府・ブラゴベェシチェンスク(アムール州執行委員会)・ウラジオストック極東共和国(沿海州政庁)]による極東共和国を統一する為の極東共和国憲法制定会議が招集され決定しました。
1922年11月15日に極東共和国は「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国」に併合されましたが、その後も1923年に至るまで極東地方で独自の郵便切手の発行が続けられた。
チタ(極東共和国)発行切手
1921年7月25日に極東共和国は 「新しい郵便物証票の発行について」 の法律を採択して11月に極東共和国の全領域で使用する独自の図柄で郵便切手10種類(1коп~50коп)が発行された。
切手は極東共和国の紋章が描かれており、極東共和国の国立印刷所で印刷されました。
1922年11月15日に極東共和国は「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国」に併合されましたが、その後も1923年に至るまで極東地域で独自の郵便切手の発行が続けられた。
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